渋沢栄一記念財団 井上理事×清和綜合建物 大串社長 記念対談
渋沢栄一の理念と清和綜合建物の未来

渋沢栄一記念財団 井上理事×清和綜合建物 大串社長 記念対談
渋沢栄一の理念と
清和綜合建物の未来

渋沢栄一記念財団業務執行理事 井上潤(左)、
清和綜合建物代表取締役社長 大串桂一郎(右)

現代にも通ずる渋沢栄一の思想を、清和綜合建物はどのように受け継いでいくべきか。
東京都・飛鳥山の渋沢史料館にて、井上理事と当社社長の大串が意見を交わしました。

渋沢栄一が現代で再評価
されているのはなぜか

大串

井上理事には、このたび、当社が刊行する「渋沢栄一がのこしたことば~渋沢栄一と清和綜合建物」の監修をお引き受けいただきありがとうございました。本日は、改めて渋沢栄一翁研究の第一人者であられる井上さんに渋沢栄一の理念について伺い、当社の未来についてもご意見をいただければ幸いです。

井上

渋沢栄一は「近代日本資本主義の父」とよく言われますが、近年は実業家、経済人としての位置づけだけでなく、社会事業家としての評価が非常に高まっています。一万円札の肖像に選ばれたのも、単なる実業家、経済人としてだけでなく、社会事業も含めて社会全体を上手くオーガナイズした人、組織化を図ったゼネラリストであるということが評価されたのだと思っています。

渋沢栄一記念財団 新一万円札発行記念特設サイト
「愛と公益」
https://2024special.shibusawa.or.jp

大串

私自身経営者ですので、そういう立場から渋沢翁を見ると、経営者として非常にバランスのとれた方だと強く感じます。とくに人から言われたことでも良いものは積極的に採り入れる姿勢や人的ネットワークの広さ、これらは素晴らしいですし、組織の基礎を固めるうえではじっくり時間をかけて人材を育てていかなければならないと説いている。こうしたことをバランスよく行える経営者はなかなかいないと思いますね。

井上

先ほど近代日本資本主義と言いましたが、実は渋沢は「資本主義」という言葉はほとんど使っていないんですよ。使ったとしても良い意味ではない。個人の利益第一主義と捉えていたからです。一般的に事業経営者は自らの利益を最優先に考えるものですが、渋沢が大事にしていたのは公益第一、社会全体の豊かさを追求することでした。そのためには合本主義、すなわち公益を追求するという使命や目的を達成するのに最適な人材と資本を集めて事業を推進することが重要であり、そういう経営がなされることによって世の中全体の豊かさにつながっていく。それを望んでいたのです。

大串

長期的な視野に立って経営を考えていく、取引先や従業員など様々な関係者を大切にする。そういった、いわゆる日本的経営の良い部分について、日本の経営者や企業は渋沢翁から大きな影響を受けていると感じます。日本的経営の考え方の柱に渋沢栄一の思想が反映されていると実感します。

井上

渋沢がなぜ公益を重視したのか。これは渋沢が生まれた江戸時代まで遡ります。領主が富を蓄えるために領地の人々は無理難題を押し付けられ、さまざまな形で搾取される。領主が潤っても領地が潤うわけではないことを、渋沢は生まれ育った現在の埼玉県北部の村社会で実感したのではないでしょうか。そうではなく、基盤を支えている農民、職人、商人たちにしっかり還元されてこそ領地も富むことになると渋沢は考えた。それが独占を嫌い、公益を重視するという合本主義の発想につながっていったと私は考えています。
一橋大学の田中一弘先生がおっしゃっていましたが、渋沢にとって利潤追求と道義・道徳は一枚の紙のようなものなんですよ。表裏があり、それが一体となり、一枚の紙になるごとく、利潤追求と道義・道徳は必ず合致し、一体とならなければならないんです。

大串

企業の利益と公益。このふたつは本来、方向性は同じなんですね。上手に組み合わせることが大事。ただ、この20年くらい、利益重視、株主重視の経営が主張されるようになってきたなかで、ややもすると、先ほど述べたような企業の利益や株主だけではなく様々な関係者を大切にすると言った日本的経営が少し置き去りにされているのではないかと。日本企業も企業の利益を重視し、利益をいかに株主に還元するかを非常に考えるようになって、いろいろ取り組んでいるわけですが、一方で近年、SDGsという考え方が出てきた。企業は利潤追求だけではなく環境や人権など社会全般に対する責任を負うべきであると。これは渋沢翁の考え方と同じであり、まさしく渋沢翁の思想がSDGsだといえます。そうした意味で、今また時代を超えて渋沢が評価されていると感じますし、日本の企業は渋沢の思想を受け継ぐ経営スタイルを自信をもって進めるべきだと思います。

経済発展を妨げる要素と、
渋沢の取り組み

井上

渋沢自身が目指したのは、産業を振興させ、国力を増すことでした。ただ、それを妨げる要因がいくつかあり、ひとつは戦争です。平和な世の中が存在してこそ産業は発展すると、渋沢は信じていました。武器をもって競い合うのではなく、互いが知恵を出し合い、経済政策などの実践を通してしのぎを削り合うことを望みました。そうすることによって国際協力の必要性が感じられるようになり、世界全体が豊かになると考えていたのです。平和な世の中を望む上で、政府間レベルの交渉だけでは国際平和の実現が進まないのなら、民間も一緒になって外交に力を入れていくべきだと考え、率先して民間外交を実践したのです。経済発展はある程度実現しました。けれども、今度は格差や貧富の差が生じます。企業が立ち並ぶ都市部は人がどんどん流入した結果、職にあぶれた困窮者が増え、地方は反対に人が流出し、疲弊した。これが経済発展を妨げるもうひとつの要因です。であれば、福祉にも目を向け、社会的に弱い立場にある人たちへ手を差し伸ばしていかないことには、本当の意味での経済発展は導けないと感じたのが渋沢でした。そして、初代院長を務めた(生活困窮者救済施設である)東京養育院を起点に福祉事業を拡充させていきました。また、それと同時に、未来の社会を担う人材を育てなければいけないということで教育事業にも目を向け、いまの一橋大学や日本女子大に代表される実業教育や女子教育の高等化を図っています。

「渋沢栄一フォトグラフ」サイトより
1925(大正14)年に行われた「日本女子大学校評議員会」での記念写真。前列中央が渋沢。

大串

事業という目を通して社会全体を見ると、いろいろな歪みに気づきます。事業家という立場にある人間は、やはり単に自分の利益を上げるだけでなく、社会全体に還元していかなければならない。社会もそういう期待を寄せています。ですから、事業で得られた資力や知見、ネットワークを使って社会課題を解決していくこと。それは企業のトップの責任であり、そのロールモデルが渋沢翁だったのだろうと思います。

清和綜合建物はどのように
渋沢栄一を受け継いでいくか

井上

清和綜合建物さんは、渋沢が創設した第一国立銀行の福利厚生を担う団体である「有終會」が源流の一つだったという経緯がありますね。つまり、従業員をはじめとする“人”に対してのまなざしをもった会社が源流にある。そのことをあらためて確認し、大切に受け継いでいっていただきたいと思います。社会的な信用を維持するためには、「今、何をしなければいけないのか」「どういう判断をすればいいのか」と、場面場面で一歩立ち止まって考えることが大切です。渋沢はよく振り返るんですね。自分が行ったことを分析して考えを整理し、反省した上で、次に何かをするときには頭を切り替えて新たな気持ちで臨んでいった。現代は時間との戦いというか、競合相手より一歩先んじなければならないという思いにかられることもあるでしょう。そういう時代だからこそ、一歩立ち止まることの重要性を社内で共有していただければと思います。

渋沢栄一記念財団「論語と算盤」オンライン。渋沢の代表的な訓話集『論語と算盤』の全文を閲覧できる。
https://eiichi.shibusawa.or.jp/features/rongotosoroban/index.html

大串

はい。私ども清和綜合建物は、渋沢翁の事業が源流にある会社として、企業理念に「お客さま志向」「堅実・誠実」「社会との共生」「未来志向」の四つを掲げています。渋沢翁の著書には「信」と「義」という言葉が繰り返し出てきますが、我々の理念である、信頼、信用を大切にし、品格をもってビジネスを行い公益とのバランスを図るという部分に、渋沢翁のDNAは受け継がれていると思います。役職員もそれを当たり前のこととして仕事に取組んでいて、それが清和綜合建物という会社の一員であることの誇りになっていると思いますが、まだまだ充分ではないので、今回をいい機会として、社長としてもこれまで以上に渋沢翁のDNAを発信していきたいと思います。役職員には渋沢翁の考え方にさらに理解を深めてもらって日常業務の中で自然と実践できるようになって欲しいと思います。

設立当時のオフィス(第一銀行馬喰町支店内)

また、先ほど申し上げた信頼や品格、それから公益という部分は変えてはいけない部分ですが、一方で経営環境は常に変化しています。渋沢翁は「細心かつ大胆に」あるいは「チャンスがあるのであれば躊躇することなく前に踏み出せ」という意味のことも言っていますね。我々も守るべきものは守りつつ、変えていかなければならないところは積極的にチャレンジしていきたいと考えています。これも渋沢翁のDNAなのかなと思いますね。

井上

おっしゃる通り、渋沢も「状況の変化をしっかり察知して素早く適応しなければいけない」と言っています。自分たちの思いを貫くという精神と同じくらい、柔軟な思考を非常に重視していた。渋沢の関係した企業には、設立当初とはまったく違う事業を行っているところも何社かあるんですよ。しかし、それは当時の技術が今の社会に別の形で適用され、変容したというだけのことで、根本的な部分は変わっていない。まさしく変化した状況を察知して適応した結果であるわけです。
また、渋沢は「競争は必要だ」とも言っていましたが、過当競争に陥ったり、足を引っ張り合ったりして業界や社会が低迷したときには、互いに手を携えて協力して事業を見直し、発展させるべきだとも言っています。こうしたことは現代の社会でも忘れてはいけないところでしょうね。

大串

おっしゃる通りです。本日、このような機会をいただき、我々は渋沢翁のDNAを受け継いでいるのだということをあらためて感じ、背筋がピンと伸びる気がします。余談ですが、500社に迫る会社を立ち上げ、育てていながら、渋沢翁は“大富豪”ではないんですよね(笑)。設立しては人に任せ、設立してはまた人に任せという感じで、つねに起業家であり、アドバイザーであるという立ち位置を貫かれた。

井上

大富豪でないということを、当時渋沢も記者から指摘されたことがあって、はっきりこう答えているんですよ──「いやいや日常の生活はちゃんと送れておりますし、この生活で十分満足しております。私がやってきたことによって、世の中全体をこれだけ繁栄に導けた。間違いではなかったと信じています」と。

「渋沢栄一フォトグラフ」サイトより
渋沢が後半生を過ごした飛鳥山の邸宅。没後は遺言に従って財団法人竜門社に贈られた。遺言書には「余が後半生朝夕起居ノ地タル飛鳥山ノ邸宅庭園ノ如キモ、実ニ一身安息ノ為メニアラズ」とあり、公共の場として使用されることを望んだという。

大串

渋沢翁の業績や発言を反芻することは、経営者として自分が行っていることが正しいかどうかを考える、良い評価軸になると思います。自信になるときもあれば、反対に考えを変えるための材料を与えてくれるときもある。
清和綜合建物としても、渋沢翁のDNAを受け継いでいるという意識をもう一度社内に共有するとともに、社会に対して正しいことを継続して実践していく必要があるとあらためて感じました。私どもは、渋沢翁直系の会社として自社の利益と公益は表裏一体であり、皆様や社会と共に成長していきたいというメッセージをお客様や関係者に届けたいと思います。

井上

期待しております。本日は、ありがとうございました。

大串

ありがとうございました。

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